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コラム
(2025/02/19)昨年末に浮上したホンダと日産自動車との経営統合案。協業に向けての準備が遅々として進まず、不協和音が響いているという声があがっていた。方向性が違ったのか、ついに両社は統合破談の道を選択。協議を打ち切ることになった。1ヶ月半の間、両社はどのような歩みを見せていたのだろうか。
・協議打ち切りまでの流れ
昨年末の協業発表から年が明け、聞こえていたのは両社における”温度差”だったと思われる。ホンダは日産に対し、経営統合の条件とする日産の再建計画をリクエストしていた。だが、具体化した再建計画は、ホンダが想像していたものよりもはるか遅く、結果、ホンダが”業を煮やす”ことに。一方、日産としては、もともと昨年11月の時点で、世界で9千人の従業員と2割の生産能力を削減するという経営再建索を発表していた。だが、その計画は2026年度にかけてのものであり、ホンダとの統合協議が決まったことを受けて動き始めたものではなかった。
そんななか、当初、経営統合に並んで手を挙げていた三菱自動車が参加を見送った。同社はプラグインハイブリッド車はじめ、海外で人気があるピックアップトラックに強みを持っている。ラインナップが手薄であるホンダとしては、三菱の参加見送りは多少なりともマイナスの影響を受けたと思われる。1月下旬の時点で三菱がテーブルの上から降りたことで、水面下の動きにも変化があったのだろうか。2月に入ると状況がさらに変化が現れる。マスコミがこぞって、協議を打ち切る可能性が大きくなっている、と騒ぎ始めたのだ。
・日産側が猛反発!?
日産は、1928年に誕生した日本産業株式会社からの出資をもとに、自動車製造の会社として誕生。日本産業の自動車部門という意味合いで、日産自動車となった。当然ながらその歴史は古い。そのせいか、体質が異なるホンダとの協業は難しいのではないか、という声は早くから聞こえていた。例えば、年間販売台数計画。日産は2025年3月期の今期の業績見通しを大幅に引き下げているのだが、計画と実績の”ズレ”は常態化しているという。どうやら見通しが甘い、もしっくは背伸びを好むのが、日産の体質のようだ。このような考え方を前提に今回の協業の話を進めようとすれば、ホンダが難色を示しても不思議ではない。
生き残りをかけ、ホンダと手を組む決断をしたはずの日産。だが、上層部にはまだまだ古い経営体質の考えが残っていたのだろう。2月上旬になり、「日産が協議を打ち切る公算が大きくなった」という報道があったのだ。これによると、取締役会において、ホンダとの統合協議の状況やホンダから打診された子会社化等の提案についての話し合ったところ、協議を打ち切る流れが強まったという。当初、総合協議は1月末を目処に本格的な始動を予定していたが、日産側の回答が遅れ、2月中旬までその判断が先送りされていた。その真っ只中で行なわれた取締役会だとすれば、もはや「ホンダとの協業は取りやめるべき」という路線で話が進んだのでは、と思われても致し方あるまい。ホンダによる子会社化の打診が引き金になったかどうかは定かではないが、日産としてはあくまでも”対等”の関係性を維持したいと望んでいたこともあり、その反発があったと考えられる。結果として、両社の思い描く”統合”には大きな溝が生じたのだろう。最終的には2月6日には日産からホンダへ経営統合の協議打ち切りの意向が伝えられ、昨年末からクルマ業界を賑わせた出来事に終止符が打たれることとなった。
・両社の今後は?
統合協議が打ち切られたものの、両社の間には別途分野別で進む協業がある。それが電気自動車だ。ホンダの”未来図”には、エンジン搭載車の新たな生産が描かれてはいない。一方、日産は電気自動車の開発に注力してはいるが、正直、”顔”となるような車両を持ててはいない。今回の統合が実現すれば、世界販売台数がトップ3に入る自動車グループ企業になる予定だったが、結果は破談。水泡に帰すこととなった。
経営統合に向けた基本合意書の撤回を決めた両社。2月13日にはそれぞれが別途記者会見を開き、打ち切りに至った経緯を述べた。そのなかで明らかにされたのは、EV分野における戦略的提携は検討するとしており、そこには三菱自動車も含めた三社での提携を進めるという。
各社が考える”旨味”の差異によって実を結ぶことがなかった経営統合協議。それぞれの会見の場では、立場による見解の相違が明らかになった。ホンダとしては日産を子会社化することで統合をより強固なものにできると考えたが、対する日産はそれを拒んだ。日産としてはホンダと対等の関係を望み、提案を受け入れれば日産としてのポテンシャルを引き出せるのか確信が持てなかったという。たもとを分かつことになった両社の行く末は、果たして?